歴史上の偉人達にも愛されたコーヒー!コーヒーを愛した偉人達の逸話とは

古くから多くの人から愛されているコーヒー。歴史上の偉人達もコーヒーによってその偉業を成し得たのかもしれません。今回のコラムでは、コーヒー雑学として歴史上の偉人達とコーヒーのびっくりエピソードを紹介します。かなり独特なエピソードもあり、親近感がわいてきますよ。

コーヒーを愛した偉人その1.ナポレオン

コルシカ島出身のナポレオンは、当時の独立運動指導者と対立しフランスに渡りました。フランスでのナポレオンは、金銭的余裕のない中でカフェに入り浸り革命家たちと政治的な話に熱中していきました。

ナポレオンは、コーヒー代金を払えずに軍用帽子を置いていくような生活を送っていましたが、熱烈なジャコバン派であることをアピールした『ボーケールの晩餐』という本を自費出版したことでとんとん拍子に出世し、1年足らずで少将にまで出世します。

戦時中のナポレオンは、兵士達に『勇気を引き出してくれる飲み物』としてコーヒーを飲ませ、数多くの勝利を手中に収めていきます。

まさにコーヒーのおかげで35歳という若さでフランス皇帝になったといっても過言ではないナポレオンですが、1806年にイギリス経済に打撃を与えようと行った大陸封鎖令によりコーヒーなどの輸入品が入手できなくなったことでフランス国民を始めとするヨーロッパ諸国の反感を買い失脚してしまうのです。

幽閉されたセントヘレナ島でも「ここで素晴らしいものはコーヒーだ」とコーヒーを楽しんでいたナポレオンでしたが、体調悪化からコーヒーを飲むことを禁じられ「スプーン一杯で良いからコーヒーをくれ」といっていたそう。

しかし、ナポレオンが亡くなった後に解剖されると、飲むことを禁止されていたにもかかわらずコーヒーの残滓が胃から発見されたといわれています。

ナポレオンは、コーヒーのおかげで出世ができ、コーヒーのせいで失脚し、最後までコーヒーを飲んで人生を終わらせたことがわかる逸話です。

コーヒーを愛した偉人その2.チェ・ゲバラ

キューバの革命家として知られているチェ・ゲバラもコーヒーを愛した一人です。アルゼンチン出身のチェ・ゲバラは、妻ともにメキシコに移り住んでいた時に、革命に失敗し亡命中だったフィデル・カストロに出会います。

意気投合したチェ・ゲバラとカストロは、Café La Habanaで毎週のようにコーヒーを飲みながらキューバ革命を計画したといわれています。

その後、チェ・ゲバラは、キューバに渡り革命を成功させた後にボリビアで39歳という若さで処刑されてしまいました。

チェ・ゲバラが革命家としてスタートを切ったメキシコのカフェは、チェ・ゲバラやカストロ、キューバの写真が飾られており当時をしのばせます。チェ・ゲバラの革命とコーヒーは切っても切れない関係だったのでしょう。

コーヒーを愛した偉人その3.バッハ

『G線上のマリア』をはじめ多くの音楽を世に送り出し『音楽の父』と呼ばれているバッハもコーヒーが大好きで『コーヒー・カンタータ』という小喜劇を作り出しました。

コーヒー・カンタータは、10曲の曲からなり、コーヒーが大好きでコーヒーのことばかり考えている娘とコーヒーを何とかやめさせようとする頑固な父とのやり取りが面白いコメディタッチのストーリーです。

自身もコーヒー好きで1日に何十杯も飲んでいたバッハの遺品リストには、多くの楽器や楽譜と並んで5つのコーヒーポットとカップ類が含まれていたそうです。

コーヒーを愛した偉人その4.ベートーヴェン

『運命』や年末に聞かれる『第九』など多くの音楽を作り出したベートーヴェンもコーヒー好きで知られる一人です。

「1杯のコーヒーはインスピレーションを与え、1杯のブランデーは苦悩を取り除く」という言葉を残したベートーヴェンは、毎朝必ずコーヒー豆を60粒数え自慢のミルで挽いて飲んでいた…というのは有名な話です。

60粒以下でも以上でも許さなかったベートヴェンは、コーヒーに対して並々ならぬこだわりがあったのでしょう。

コーヒーを愛した偉人その5.ベンジャミン・フランクリン

アメリカ合衆国建国の父として知られているベンジャミン・フランクリンもコーヒーが大好きでした。

フランクリンは、職を求めて渡ったロンドンでコーヒーショップに通うようになり、そこで政治集会を開き、他の人達の会話に耳を傾けるためにコーヒーショップに入り浸るようになりました。

アメリカにいた姉妹に「手紙を送る時はロンドンのコーヒーショップ宛てにするように」と指示を出していたほどコーヒーショップにいたフランクリンは。自らもコーヒー豆の販売を行っていました。

船旅をする時は、自分の飲むコーヒー豆を切らさないように心を配るほど、毎日大量のコーヒーを飲んでいたベンジャミン・フランクリン。彼が残した数々の格言は、コーヒーを飲みながら考え出されたのかもしれません。

コーヒーを愛した偉人その6.セオドア・ルーズベルト

第26代アメリカ合衆国大統領を歴任したセオドア・ルーズベルトは、歴代の大統領の中で最もコーヒー好きだったといわれています。

彼の息子は「父のコーヒーカップはバスタブくらいの大きさだった」といっているほどで、これを証明するようにルーズベルトの友人は、1日40杯くらいのコーヒーを飲んでいたと語っています。

毎日、たくさんのコーヒーを飲んでいたルーズベルトは、角砂糖を5~7個入れていましたが、後にサッカリンに変えたことでも知られています。

コーヒーを愛した偉人その7.バルザック

次は、フランスの著名な小説家であるバルサックです。彼もコーヒー好きで知られていますが、一日に飲む量が凄まじかったそうです。

バルザックは、午前1時に起きて翌日の昼頃まで濃いコーヒーを50~60杯ほど飲み続けて、執筆を行う生活を20年も続けてきたとされています。

コーヒーを入れるのも上手だったバルサックが、「コーヒーだけが、想像力豊かなこの労働機械の活動を再々促す黒い油だった」とコーヒーを自分の燃料に例えて語ったことからもわかるように、コーヒーこそが彼の創作活動に必要なエンジンだったのでしょう。

しかし、コーヒーを50杯も飲むことは可能なのでしょうか?

カフェインには致死量があり、その量は体質にもよるのですが3gと言われています。コーヒー200mlが一杯とすると、その中に入っているカフェイン量は120mg程度。

そこから考えるとコーヒー50杯は6g以上のカフェイン量になるのです。

ただ、当時バルサックが愛用していたコーヒーカップは容量が90ml程度のデミタスカップと言われていることから、1日に摂取したと思われるカフェイン量は1.5g。それでも50杯は多いですが、毎日それほどの量を飲み続けられたのはデミタスカップを愛用していたことが関係していたのですね。

番外編 日本で『珈琲』という当て字を作った人.宇田川榕庵

外国から日本に入ってきたコーヒー。その歴史とはどんなものなのでしょう。

日本ではコーヒーを『珈琲』という漢字で表記する場合もありますよね。その漢字はもともとコーヒーを表す漢字ではなくいわゆる『当て字』です。

今でこそ、普通に使われている『珈琲』という言葉ですが、コーヒーが日本に伝わった当時は、なかなか『コーヒー』という言葉を上手に当てはめられる日本語が見つからず困っていました。

『可否』や『可非』『架非』『黒炒豆』などの文字が考えられましたが、浸透しなかった中で幕末の蘭学者である宇田川榕庵が『珈琲』という言葉を作り出しました。

蘭学者・医者として頭角を現していた宇田川榕庵は、『酸素』や『水素』『金属』『蒸気』『沸騰』など今では普通に使われている言葉を作り出したことでも知られています。

造語の天才と呼ばれる宇田川榕庵が考え出した『珈琲』という造語で使われている『珈』という言葉は 『かみかざり』と読み、女性の髪を飾る『花かんざし』を意味します。『琲』は『つらぬく』と読み、かんざしの飾りをつなぐ紐のことを指す言葉です。

このことから、『珈琲』は、女性の髪を飾るかんざしのことを意味し、一見、飲み物と全然関係ないように思われます。しかし、宇田川榕庵は、コーヒー豆が収穫される前のコーヒーチェーリーが真っ赤に実り連なっている様から髪飾りを想像し、オランダ語の発音に近いこの2文字をあてて『珈琲(こーひー)』としました。

『珈琲』は女性の髪飾りから連想した漢字だと知ると、なんだかロマンチックな気分になりませんか?『黒炒豆』なども分かりやすいですが、『珈琲』の方が趣があって素敵です。

コーヒーを愛した偉人達に思いを馳せて

さまざまな発明や文化をこの世に残した偉人達もこよなく愛したコーヒー。また、コーヒーを美しい髪飾りの意味する言葉から『珈琲』として日本に浸透させた造語の達人もいました。

普段、何気なく飲んでいるコーヒーですが、多くの人に愛され現代に続いていることがわかります。今度コーヒーを飲む時は、コーヒーをこよなく愛した偉人達に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

偉人達と同じように、人生を変えるひらめきが生まれるかもしれませんよ。